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由緒
東禪寺は慶長15年(1610)江戸城外櫻田に開創されました。
本尊はお釈迦さま、開山は嶺南禪師、開基は宮崎の飫肥藩主伊東祐慶公、
臨濟宗妙心寺派の古刹です。
寛永13年(1636)この高輪に移転再建されました。
現在、赤坂にある霊南坂は嶺南禪師の名残りです。
創建以来250年は参勤交代制度により諸大名家の江戸での菩提寺でした。
また幕府の定める妙心派下の觸頭寺院として職責を務めました。
嘉永6年(1853)に至り長閑だった日本にペリーが来航、欧米列強の脅迫的な開国要求に
止むをえず日米及び日英修好通商条約を締結しました。
幕末の150年前の安政6年(1859)6月7日に英国公使オールコックは
此の東禪寺境内にユニオンジャックの英国旗を掲揚して最初の英国公使宿館としました。
文久元年(1861)水戸浪士による襲撃事件、及び翌文久2年(1862)と2回にわたり
襲撃事件がありました。
こうして此の東禪寺はかつて幕末に於いて日本外交のひとつの舞台でした。
しかし幕命とはいえ攘夷の風潮のさなか、而も神聖なお寺に異邦人を居住させたこと、
更には襲撃を受けて血が流れたことにより穢れた寺と誹謗され、
7ヶ年に及ぶ占拠はお寺の事情を一変させました。
檀越の或る有力大名家はお寺を見放し離檀、経済的な裏付けを失くして
伽藍の修復も叶わず境内は荒涼として憂慮すべき一途を辿ります。
幕末の黎明期に於いて英国公使宿館にされたことは東禪寺史上、
不都合極まりない事件でした。
大小幾多の辛苦の遭逢を経て法灯400年、さながら真夏の炎天下の木蔭の涼しさを供する
「天下の蔭涼樹」として嶺南の一家風は此処に健在です。
宗旨
臨済宗妙心寺派のお寺です。
お釈迦さまの正法眼蔵涅槃妙心実相無相微妙の法門を28代初祖達磨大師、
そして宗祖臨済禪師、更に妙心寺開山関山慧玄禪師に及び師資相承された
応燈関の一流の禪を宗旨とします。
心を調え内に宿る本来の自己に立ち還り私心なく大自然の摂理法則や道理に叶い
正しく対応工夫して生きて応分に安穏無事、安心があります。
大切なものを失くした哀しみや想いどおりにならない苦悩葛藤、不安や焦躁も
本来に立ち還り見直せばずいぶん違った景色にみえてきます。
妙心寺開山さまは「請う其の本を務めよ」と垂訓されました。
生涯賭けて自己の本分を全うすべく直向きに精一杯生きる、唯それだけです。
此の地上に生きる目的目標、志や希望を明確にして叶えるべく、
「大丈夫ちゃんと生きてゆける!」と自分を信じ自信をもって、
たとえ何があってもどんなときも挫けないであきらめないで、
絶えず前を向いて果敢に立向い乗越えてあしたを切拓き創造して、
どうぞ佳き人生をおすごしください。
指定文化財
港区指定文化財 | 寒山拾得図2幅 |
羅漢図3幅 | |
東京都指定文化財 | 天寿室日記 |
国指定史跡 | 唯一現存する幕末の外国公使宿館として奥書院-僊源亭及び裏庭 |
尚、奥書院-僊源亭は住職の「丈室」のため非公開です。
Information
新型ウイルス感染症禍は大きな傷を残してすぎてゆきました。
たった3年前のことが佳い時代だったなんて昔ばなしになりました。
ずいぶん時代や環境が変わり私たちの生活リズムは乱されました。
キモチを切換え仕切り直して未来に向って一歩踏出しましょう。
基本的な生き方に立ち還り、未来への希望や目的目標を明確にして精一杯生きる。
何があってもどんな時も絶えず前を向いて直向きに生きてゆきましょう
きっと生き甲斐ある佳い人生になる。どうぞ佳き人生をおすごしください。